4月に入り今年度もスタートいたしました。熊本では今年はちょうど新年度の4月1日に桜が綺麗に満開を迎えました。お寺から眺める桜も今年も綺麗に満開を迎え、綺麗な桜の写真を撮ろうと撮影をしておると、ちょうど仏教婦人会役員の方々がお寺に来ておられたので記念撮影もしました!

しかし、はやいもので桜は満開から1週間ほどすると散っておりました。毎年この姿みると、あるお詩を思い出します。浄土真宗を開かれた親鸞聖人というお方が9歳の時京都のお寺でお得度をされました。得度とは、簡単に言えば僧侶になるお式の事でございます。得度をする日京都のお寺(青蓮院)の僧侶(慈鎮和尚)が「今日はもう時間も遅いし、得度をするのは明日にしませんか?」という言葉をかけた際に親鸞聖人が読まれたお詩がございます。

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

この詩は、明日もまだ咲いていると思っている桜も夜中に嵐が来て全て散ってしまうかもしれない、明日があると思わず今この瞬間を大切にしたい、という思いが込められています。このように私たちは必ず明日が来ると思っていますが何が起こるか分からないのがこの世界です。

現在、新型コロナウイルス・ロシアとウクライナの戦争で多くの方の命が失われております。このような出来事が頻繁に続くと私自身の命もいつ終わるのかと不安に感じる事があるかと思います。 だからこそ今、というこの時を大切に過ごさないときっと後悔します。あの時あぁしとけばよかった、もっと大切にしてれば良かった、後悔は様々ですが私たちの人生は後悔と共に生きているのです。

私も振り返るとたくさんの後悔しかありません。当時は明日が必ず来ると思っていましたから。苦しい事や嫌なことをどんどん先延ばしにしていた結果が現在のこの苦しみです。しかし、阿弥陀如来という仏様はそんな私に大いなる慈悲を注いでくださっておりました。仕事や勉強、日常がうまくいかなくて苦しんでも、悲しんでも見捨てることは決してありません。私たちが頼んでいなくても私たちの気持ちに共感し、さらにその苦しみ、悲しみを私の事と引き受けて下さり共にこの人生を歩んでくださります。そしていつかこの命が終える時がきたとしても決して一人にせず必ずご一緒下さります。これからの人生もきっと後悔する日が来るかと思いますが目の前の今を一つ一つ、一瞬一瞬を大切に生きていただければと思います。私たちは決して一人ではありません。  合掌

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